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素材を知る[柄編] リバティプリント



リバティプリントとは、1875年(明治8年)に設立されたロンドンのリバティ社製のプリントのことをいいます。本来の特徴は、当時一世風靡したアールヌーボー様式に基づいた精密な花柄ですが、現在では、一般に小花を密に配した全面柄のことをいう場合も多いです。

リバティデパートの歴史

リバティデパートの歴史

ロンドンの老舗デパート、リバティは、元々は1875年(明治8年)、リージェントストリートに日本、および東洋の美術、装飾品を扱う店として開業しました。デパートの創始者であるアーサー・リバティが、そこから遡ること1862年(文久元年)のロンドン国際見本市で、日本館の出品物にインスパイアされたことが開業のきっかけでした。折しも、見本市でジャポニスムの潮流が生まれ、アールヌーヴォーの美術運動へとつながり、英国史上もっとも豊かとされたビクトリア時代の文化も色濃く残っていた時代だったこともあり、ほどなく店は成功を収めました。事業拡大にともないリバティは、家具屋や仕立て屋が扱うと品質が劣化しやすい日本や東洋の品々の極繊細さを問題視し、自国で東洋趣味を取り入れた製品を作ることを試みます。

自社製ファブリックの誕生

リバティは、既製のファブリックを輸入して、それを英国で無地染めもしくは、 プリントするという方法を採用しました。このために、スタフォードシャー州リークのトーマス・ワードルと、 サリー州マートン・アビーのエドマンド・リトラーという2社の捺染会社の技術を活用しました。1890年代には、リバティは、 すべての生産業務をリトラーズの捺染工場に依頼するようになりました。そして、リトラーズが手作業で生産したブロック捺染製品の高い品質は、リバティ・アート・ファブリックの象徴となりました。

リバティプリントの誕生

1884年(明治17年)、リバティは、著名な建築家エドワード・ウィリアム・ゴッドウィンの指揮のもと、リージェント・ストリートの店舗に服飾部門を開設しました。リバティは当時、多くの芸術家やデザイナーと交流し、 アーツ・アンド・クラフツ運動やアールヌーボーなどの美術シーンをバックアップしていました。その成果が1920年代に結実します。当時は、衣料品用のファブリックよりも調度品用のファブリックの方が 重視されるようになっていました。リバティは、1920年代風のスタイルを引き立てるため、1930年代風の華やかな雰囲気を備えたシンプルなラインの 細かいデザインのプリントを取り入れました。この細かく繊細な花模様は、「リバティプリント」として知られるようになります。 そしてこの時期リバティは、 幅広い衣料用ファブリックも提供するに至りました。素材としては コットンやシルク以外にも、ベルベット、ウール、 サンクリーム・クレープのような半合成素材も取り扱いました。後にリバティプリントの中のベスト・セラーとなる「タナローン」シリーズもこの時期誕生しました。1939年(昭和14年)には、リバティプリント人気の需要に応えるため、 リバティ・オブ・ロンドン・プリンツという卸売り会社も設立されました。