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ファッションの歴史



人が衣服を着るという行為は長い歴史の中で毎日繰り返されて来ました。何千年もの服飾史の中でも、現代のファッションに影響を与える、1920年代からのファッションの歴史をご紹介します。

1920年代 ギャルソンヌスタイル

1920年代 ギャルソンヌスタイル

1918年(大正7年)第一次世界大戦が終わると、女性の社会的進出がはじまり、少年のようなギャルソンヌスタイルが流行しました。スカート丈は膝下、短いボブヘアにクロシェという帽子を被り、胸や腰の膨らみが出ない、まっすぐなラインのスタイルが基本の形です。

1930年代 シャネルとヴィオネの活躍

ココ・シャネルは、女性が活動しやすくなるように機能的なファッションを次々と考案しました。たとえば、下着用の素材であったジャージーのドレスや英国のツイードなど紳士服生地を使って女性用ドレスを作ったり、喪服のみで使用された黒を初めてファッションに用いるほか、女性がパンツを履くスタイルを広めたのもココ・シャネルです。一方、ヴィオネは、バイアスカットやサーキュラカットなど新しいパターンの衣服を考案しました。この二人のデザイナーが発案したアイデアは、のちのファッションの歴史に大きな影響を与えています。

第二次世界大戦後~1950年代

戦時下では女性たちも地味なミリタリールックを着ていましたが、戦後間もない1947年(昭和22年)にクリスチャン・ディオールが、のちにニュー・ルックと名付けられる女性らしいスタイルを発表し、大流行しました。コルセットを復活させることで胸を強調して、ウエストは絞り、スカートが大きく膨らんでいるのがニュー・ルックの特徴です。その他、パリでは、ココ・シャネルがシャネル・スーツを提案したり、クリストバル・バレンシアガやピエール・カルダンが活躍するなど、オートクチュールメゾンはファッションの歴史において最盛期を迎えました。

1960年代 プレタポルテの台頭

1960年代に入ると、ピエール・カルダンやディオールから独立したイヴ・サンローランなど、オートクチュールのクチュリエが既製服の生産に乗り出しました。その頃、ロンドンの下町では、デザイナー、マリー・クワントによるミニスカートが大流行していました。パリをはじめ日本でもミニスカートが一斉を風靡し、フューチャー・ルックやコスモ・ルックなど、近未来的モードが生まれました。

1970年代 パンク、ヒッピーなどの若者ファッション

1970年代にはミニスカートから一転して、スカート丈はくるぶしまでのロングスカートになりました。これは、ヒッピーたちによるフォークロアファッションの流れで、Tシャツ、ジーンズにエスニックなアイテムを合わせるスタイルがブームになりました。一方、ロンドンでは反社会的なパンク・ファッションが盛り上がりました。また、日本からは、高田賢三や三宅一生、森英恵らが欧米のコレクションでデビューを果たしました。

1980年代 ボディコンなどの強烈なファッション

1980年代は女性の社会進出が進み、日本だけでなく欧米にもニューリッチやキャリアウーマンが登場しました。その影響で、ファッションデザイナー、アズディン・アライアが提案した女性らしさを強調したボディコンシャスなワンピースは世界的なブームになりました。また、日本人デザイナーの川久保玲と山本耀司による黒をメインに使い、穴の開いたルーズなシルエットに代表されるホーボールックは、世界的に注目を集めました。また、日本国内ではDC(デザイナー&キャラクター)ブランド旋風が巻き起こりました。

1990年代 多様化するファッション

1990年代に入ると価値観が多様化され、人々は自由にファッションを楽しむようになります。ノーアクセサリーで装飾を省略したミニマリズムの流行や、ベルギーのマルタン・マルジェラやドリス・ヴァン・ノッテンなど新興デザイナーの出現、グランジルックといった、新しい概念のファッションが出現しました。

2000年代 ファッションのグローバル化

1990年代後期から、2000年代にかけてルイ・ヴィトンなどを傘下に持つLVMHグループや、グッチを有するPPRグループなど、大手企業が買収・合併を繰り返してグローバル化を計りました。日本国内の主要都市に続々と旗艦店を出店したのもこの時期にあたります。やがて世界的不況を迎えるのと前後して、H&Mやザラ、フォーエバー21などのファストファッションが日本に進出。現在のファッション都市には、ラグジュアリーブランドと低価格ファッションが混在しています。